プライバシーの死んだ世界で#2「データポータビリティが生んだ新たなる冷戦の舞台」

データポータビリティとはあるサービスが収集した特定のユーザーに関する個人情報を他のサービスで再利用する事を言う。Facebookのマーク・マークザッカーバーグはかつて、プライバシーはもはや社会規範ではなく個人情報を共有しビッグデータとして解析する事で世界がより良くなるというデータポータビリティの理想的なビジョン語った。

 

前回の記事プライバシーの死んだ世界で #1「個人のアイデンティティを刈り取る巨人達の錬金術」ではシリコンバレーのテックジャイアントによるデータポータビリティが生むアイデンティティの問題をまとめた。今回はデータポータビリティが生み出した新たなる冷戦の舞台について紹介したい。

 

-フェイスブックのユーザーデータは政治的なダークアドにも利用される

5000万人以上のフェイスブックユーザーの個人情報を不正に入手して政治的キャンペーンに利用していた事で問題となったケンブリッジ・アナリティカは、2016年6月に実施されたイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票と同年11月のアメリカ合衆国大統領選挙において、いずれも勝者側が依頼した選挙コンサルティング会社だ。

 

前回の記事で紹介したようにフェイスブックはユーザーの個人データを広告パブリッシャーなどのサードパーティにアクセス権を販売する事で莫大な利益を上げて来た。ユーザーが誰とどこへ行き、何を食べ、何に「いいね」をするのか。これらの情報は抽出され、心理属性のプロファイルを通じてユーザーの人格が分類される。各ユーザーに合わせて精度の高い広告を作成する上でフェイスブックなどのソーシャルネットワークの持つユーザーの個人情報は金のなる木だ。

 

フェイスブックの広告パブリッシャーには商業利用を目的としたパブリッシャーの他にケンブリッジ・アナリティカのような選挙コンサル会社も参加していた。ユーザーの個人情報は本人が知らないままに政治広告パブリッシャーにも提供され、彼らは政治的扇動を意図した広告を作成する。そして心理的属性をプロファイルされたユーザーに対してもっとも効果的な政治的広告を送り投票行動に介入する。これがいわゆるダークアドだ。

 

例えば人種差別の傾向があると判断された人には移民が国境に押し寄せる写真を添えられたメッセージが送られ、さらにその人が海外旅行に何度も行く事が分かったら空港のセキュリティを脅かす移民の写真が追可される。

 

-あまりに効果的な心理属性プロファイリング

SNSから過去のコメント、人種、性別、年齢、社会的背景などの情報を抽出し、人格を分類する心理属性プロファイルはそのユーザーの政治思想を推測するだけでなく、特定のユーザーを効果的に思想誘導する事が出来る事が知られている。

 

not-for-profitOnline Privacy Foundationの共同創設者クリス・サムナーはSNS上のユーザーデータを用いて、心理属性プロファイルの効果を測定する実験を行った。サムナーは心理属性プロファイル処理したグループとそうでないグループに分け、それぞれに対して政治的メッセージを送りその効果を比較検討した。心理属性プロファイル処理したグループでは、年齢、職業、性別、社会的地位などの情報のほかに政治志向、インターネットの監視に対してどう思うかといった項目により分類された。

インターネットの監視に対して否定的で社会的権威を好む属性とされた人には「彼らはあなたの自由のために戦っている。権利を放棄するな」というメッセージが送られる一方で、インターネットの監視に対して肯定的で社会的権威を好まない属性とされた人には「監視なくしてインターネット犯罪はなくならない。今こそYESと言おう」というメッセージが送られるように、心理属性に合わせてデザインがされた広告が送られた。

 

結果、心理属性プロファイル処理を行ったグループの方が政治的メッセージへの賛同とシェアを得る確率が有意に高かった。(出典:Facebook ‘dark ads’ can swing political opinions, research shows)ケンブリッジアナリティカの一件を受けて、人々の政治的バイアスがダークアドにより操作されている事は驚くべき事ではないとサムナーは言う。

 

不正に入手したフェイスブックのユーザーの個人情報を使い選挙に介入したケンブリッジ・アナリティカのニュースが知れ渡ると同社は世界中の非難を浴び2018年5月2日、関連会社とともに破産手続きを申請する事となった。声明では不正を否定したものの、ケンブリッジ・アナリティカ社のアレクサンダー・ニックスCEOは、同社が2016年の米大統領選で共和党陣営のデジタル向けキャンペーンを運用したと語る様子を英国・チャンネル4の報道チームによって秘密裏に撮影されている。

「全ての調査、全てのデータ取得、全ての分析、全てのターゲティングを我々が行った。我々が全てのデジタル向けキャンペーン、全てのテレビ向けキャンペーンを運用し、我々のデータが全ての戦略の基盤となった」 アレクサンダー・ニックス(出典:channel4.com

 

 

このケンブリッジ・アナリティカ事件を受けてフェイスブックのマーク・ザッカーバーグは個人情報の取り扱いに関して不備があった事を謝罪、同社の株価は3月16日、13%以上も暴落する事となった。

 

-データポータビリティは新たなる冷戦の舞台に

ダークアドの問題はこれだけに留まらない。フェイスブックには2017年9月初めには16年の米大統領選挙の期間中に、ロシアのトロール(荒らし)アカウントにリンクされた政治広告によって、同社が15万ドル相当の売り上げを得ていたことが明らかになったという前歴もある。この一件はアメリカの大統領選挙へのロシアが干渉したとされる論争の発端となりダークアドは新たなる冷戦の舞台となった。

2月16日、ロバート・ミュラー元連邦捜査局長官が、ソーシャルメディア上でアメリカ人になりすましたアカウントを作り、世論工作を行ったという容疑でロシア国籍の個人13人と企業3社を起訴した他、3月15日にトランプ政権は選挙介入などを理由にロシアの5団体と個人19人に制裁を科している。その中にはロシアの2大情報機関であるロシア連邦保安庁 (FSB) とロシア連邦軍参謀本部情報総局 (GRU) が含まれている。

 

当然ロシアはこれに対して反発。プーチン大統領はアメリカの選挙にロシアが介入した事を強く否定している。かつての時代の寵児として名声を欲しいままにしてきたマーク・ザッカーバーグの掲げたデータポータビリティの理想の裏で生じた弊害は、個人のアイデンティティの問題のみに留まらず、一国の選挙への外国からの干渉という民主主義の根本をも揺らがしかねない問題にまで発展している。

-これはまだ始まりに過ぎない

安全保障やサイバーセキュリティに関するメディアDefense Oneの主筆パトリック・タッカーは、SNSは政治的なダークアドによる扇動に対して極めて脆弱であり、今後も繰り返されると警告する。

2018年データポータビリティによるプライバシーの侵害やダークアドの一連の問題に関して世界中で糾弾を受ける事となったマーク・ザッカーバーグだが、6月5日のロイターの報道によると、フェイスブックはユーザーのデータをスマートフォンメーカーなどの約60社と共有しており、その企業の中には華為技術(ファーウェイ)など少なくとも中国企業が4社が含まれていることが明らかになった。

米政府から安全保障上の脅威があるとして監視されているファーウェイ以外にも、レノボ・グループ(聯想集団)とスマートフォンメーカーのOPPO(オッポ、広東欧珀移動通信)、家電大手TCL集団などの中国企業が名を連ねる。

フェイスブックは中国企業へのアクセス許可には慎重を期しているが、データポータビリティの理想の裏で勃発した冷戦はまだまだ序章に過ぎないようだ。過去半世紀、“韜光養晦”(※)を外交の基本方針とし、米露の対立を上手く利用してきたもう一人のプレイヤーは今回も静かに観察しているのだから。

 

(※)韜光養晦:力を十分に蓄えるまでは能力は隠し目立たないようにするという中国の外交・安保における基本方針。1990年代、ソ連の崩壊とアメリカの制裁という外交上の危機に際して鄧小平が強調した。