日本で繰り返される技術の死「八木アンテナにまつわる物語」

テレビ受像用アンテナとして知られる「八木アンテナ」を発明した電気通信工学者である八木秀次の半生と彼の発明を取り巻く歴史には多くの示唆と教訓がある。

 

1886年大阪で生まれた八木秀次は東京帝国大学を卒業後、欧州でジョン・フレミングに米ハーバード大学でピアスに師事。無線技術に惹かれた八木は東北帝国大学(現・東北大学)で電波の研究に従事する事になる。


(画像:wikipedia

それまでテレビアンテナ特定の周波の電波を選択的に受信する事は出来ないと認識されていたが、たまたま障害物を置いたところ特定の周波の電波だけが強く受信するという現象が確認された。これがキッカケで八木はアンテナそのものに障害物を設置するという着想を元に現在のテレビアンテナの原型であるパラボナアンテナを開発した。

 

八木は1928年のニューヨークで行われた学会にて論文を発表。世界の研究者から「今日は八木・ショック・デー」だと称賛された一方、日本では八木の研究は理解されず特許の延長すら却下されている。

 

歴史の皮肉はこれだけに留まらない。英米軍は八木アンテナを改良し軍艦への導入と装備を進める中で日本軍では八木アンテナを評価できる将校はおらず、そもそもレーダーのような”小細工”を用いるなど大和男児たる帝国海軍の戦い方として相応しくないという妄執すらあったという。

 

有名な逸話がある。1942年、日本軍がイギリス領シンガポールを占領しイギリス軍の対空射撃レーダーに関する書類を押収した際、日本軍の技術士官は書類の中に頻出する “YAGI” という単語の意味を理解できなかった。

 

「送信アンテナは YAGI 空中線列からなり、受信アンテナは4つのYAGIから形成される」と言った具合に “YAGI” という単語が頻回用いられていたが、その意味はおろか読み方が「ヤギ」なのか「ヤジ」なのかさえ分からず、日本軍の技術士官が捕虜のイギリス軍のレーダー技術者ニューマン伍長を尋問したところ「あなた達は本当にその”YAGI”を知らないのか。YAGIとはこのアンテナを発明した日本人の名前だ」と言われたという。

シンガポール占領から約4カ月後のミッドウェイ海戦においてアメリカ軍は八木アンテナを用いて作戦を展開さらには広島・長崎に原子力爆弾を投下した際にも八木アンテナの技術を用いたレーダーが用いられている。両原子力爆弾のレプリカの写真からも確認できる。

 

戦後その事実を知った八木は自身の研究が戦争に利用された事に心を痛め、1976年89歳でその生涯を閉じるまでアンテナ技術の平和的利用への普及に尽力する事になる。また八木は後輩科学者の育成にも力を入れており、指導を受けた科学者の中には中間子理論でノーベル賞を受賞した湯川秀樹や光ファイバーの発明者である西澤潤一らが名を連ねる。

 


(画像:rockmoon.blog44.fc2.com

 

八木アンテナを巡る物語は現代の日本人にこの国で”技術が死んだ日々”を思い起こさせる。それは著作権保護の名のもとに検索エンジンを2010年まで違法にしてきた事で頓挫した国産ITプロジェクトの数々かも知れないし、技術を流出させ続けて来た東芝の凋落の話かも知れない。2018年以降日本を後にしたブロックチェーンスタートアップの開拓者達もそのリストに加わるのだろうか。

 

海外で高い評価を博した指向性アンテナ技術が、太平洋戦争で敵国兵器に利用されたため、戦時には科学技術を動員する中核的立場におかれる。戦後は、教育者・国会議員として幅広く活躍。明治以来の国家的課題「後発工業国日本の近代化」に挑んだ一科学技術者の生涯。

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