「ビッグデータとデータポータビリティ(データ可搬性)は新しい体験を創造する」
Facebookのマーク・マークザッカーバーグはかつて、プライバシーはもはや社会規範ではなく個人情報を共有しビッグデータとして解析する事で世界がより良くなるという理想的なビジョン語った。また創業以来、世界中の情報を体系化するというミッションを掲げるGoogleの新しいCEOサンダー・ピチャイは開発者カンファレンス「Google I/O」にて利用者の行動を把握し完全に視覚化する事を明言した。
(データポータビリティ:あるサービスが収集した特定のユーザーに関する個人情報を他のサービスで再利用する事)
もはや誰もが知るように米国IT業界の巨人達は「ビッグデータ解析による世界の革新」の名の下に消費者の個人情報を集積しビッグデータの一部として活用する事で莫大な利益を生み出し続けて来た。
欧州委員会の調査によるとインターネットユーザーの約67%が企業による個人情報の取り扱いに懸念を感じていると回答したが、人々はタダ程高いものはないと知りつつも、ますます便利になっていく彼らのサービスの対価として自身の個人情報を差し出している。シリコンバレーの巨人達はまるで古い友のように人々に優しく語りかける。
「我々が世界を良くするので何も心配する必要はないし、あなたは何もしなくて良い。あなたの個人情報を差し出しさえすれば。」
GoogleとFacebookは米国のデジタル広告業界で全体の約73%の売上を寡占しているが、その源泉となるビッグデータは彼らのサービスを無料で利用する対価としてユーザーが差し出した個人情報を元に構築される。サイトの閲覧履歴やアプリの利用状況、位置情報、「いいね」の使用状況、誰と何処へ行き何を食べたか。ユーザーのあらゆる情報は解析され、AIにより最適化されたターゲット広告はデジタル空間を「最も自然な形」でどこまでも追跡する。
釣ったカツオを誇らしげに掲げるセルフィ―をあなたが投稿すると、翌日には2オンス程の、素早くフォールするイワシを模した光沢色のルアーの広告が表示される。この”あまりにも自然な”広告が作られる過程を理解した時の人々の表情は”不気味の谷”のそれと違わない。
個人情報をビッグデータとして加工し、広告パブリッシャーなどのサードパーティーに転売するというこのビジネスモデルはITの巨人達に莫大な富をもたらして来た。あなたが彼らのサービスを無料で利用する裏ではデータポータビリティの理想の元に個人情報が仕入れられ、加工され、そして広告パブリッシャー出荷されるという生々しい製造ラインが稼働しているのだ。
アップルCEOのティム・クックは「ネット上の無料サービスにおいてあなたは顧客ではなく、商品だ。」と言う。我々は単に「商品」なのだろうか。人々は日常的に巨人達の作るAIが峻別するニュース記事を読み、オススメするレストランに行き、推奨するコミュニティに帰属する。またGoogleからスピンアウトしたNiantechはPokemon Go を通じて特定の日時に特定の場所へ極めて効率的に特定の人物を誘導出来ることを証明してみせた。
彼らのフィルターを通じた情報を元にアルゴリズムがデザインする導線に従って行動する人々にいったいどれ程の主体性が残されているのだろうか。情報空間を寡占するかつての「開拓者」たちはますます支配力と影響力を大きくしながら時として新たなる監視者としての横顔を見せる。「最適化」された彼らのサービスを体験する事のトレードオフとして要求されるのは、もはや単なるプライバシーの範疇に留まらない。それは個人の自由かも知れないしアイデンティティそのものかもしれない。
デジタル空間において人々は巨人の監督下で隷属するデータの一部なのか、IoTが広く普及した後はどこに逃げれば良いのだろう。ITの巨人達をどこまで受け入れるべきか、そもそも拒絶する能力はあるのか。漠然とした不安の中で個人のアイデンティティはデジタル空間を漂流する。
EUはテックジャイアント達が推し進める「支配」に敏感に反応し、シリコンバレー企業による個人情報のマネタイズをEU市民の基本的人権を侵害する搾取だとして長年に渡る闘争を繰り広げて来た。
「もし個人情報が21世紀の最も重要なコモディティであるなら、個々人のデータに対する所有権の権利が強化されるべきです。特に、これまで何も支払わないでこの「商品」を手に入れている狡猾な人たちに反対することです。これらの企業が新しい世界秩序を具現化していくなど、それは許されるべきではありません。彼らはそのような権限を持っていないのです。」 マルティン・シュルツ議長
2017年5月、欧州委員会はWhatsAppの買収について「誤解を招く間違った情報を意図的に提供した」としてフェイスブックに1億1,000万ユーロ(約146億円)の罰金刑を命じた。そして、6月には、検索の独占権を乱用したとしてグーグルに24億ユーロ(約3,194億円)という巨額の罰金を課している。EUがこれだけ躍起になって規制をしようとするのはイデオロギーの問題だけではない。EUはEU市民の個人情報の推定資産価値は20年までに年間で1兆ユーロ(約133兆円)を超えると試算している(ec.europa.dataprotection)。実にEUのGDPの実に8%に上る額だ。
無料サービスを隠れ蓑にしてたくみに独占禁止法をかいくぐり常に国家の規制より一歩先を行く巨人達シリコンバレーの巨人達とEUとの長年の抗争は、先日施行されたGDPR(一般データ保護規制)に集約される。GDPRはEU域内の個人情報の取り扱いに関して厳しく定めた規制で先月25日に施行された。
(参考記事:GDPR あなたが泣こうが喚こうが2018年5月25日は必ず訪れる。)
2018年、複雑で長年に渡るプライバシーの死を巡る論争の批判を一手に受ける人物がいる。Facebook CEOのマーク・ザッカーバーグだ理想的なビジョンを元に、絵にかいたような成功を手にしたかつてのシリコンバレーの象徴を取り巻く状況は一変している。
「人々を繋げ コミュニティ形成を手助けし世界をより身近なものにする。」
デジタル広告業界でGoogleに次ぐ規模のFacebookの収益構造を多くの人々はあまり知らない。2017年、北米においてFacebookのユーザー一人当たりから得られる収益は一人あたり62ドルだったという。これはFacebook内に表示される広告だけによるものではない。
「Facebook ユーザー以外の方および Facebook にアクセスしない方を含め、すべてのユーザーにパブリッシャーと開発者がより有益な広告を表示できるようにするため、オーディエンスネットワークの機能を拡張します。」(newsroom.fb.com)
オーディエンスネットワークとはモバイルアプリのサードパーティーを対象とした広告ネットワークの事をいう。ネットワークに参加するサードパーティはFacebookのターゲット広告生成アルゴリズムに基づいたターゲット広告を利用できる。ユーザーの「いいね」の使用状況、サイトの閲覧履歴、位置情報を集積したビッグデータへのアクセス権だ。仕入れた個人情報をAIで加工して販売するというFacebookを強大な巨人たらしめたデータポーテビリティの錬金術のカラクリだ。
ITの巨人達によるあまりに洗練されたた「データポータビリティ」はかねてより指摘されていた事だが、昨年アプリを通じて英国データ分析会社ケンブリッジ・アナリティカに個人情報が不正流出した問題によってマーク・ザッカーバーグに世界中からの非難が集中する事となる。被害に遭ったユーザー数が最大8700万人に上った可能性があるという。
事はこれだけに留まらない。フェイスブックは以前より非ユーザーの個人情報を収集している疑いかけられていたが、4月11日米国下院エネルギー・商業委員会にてマーク・ザッカーバーグはフェイスブックに登録していない人のデータを集めている事をついに公の場で認めた。所謂「シャドープロファイル」の問題だ。だがここでの彼の”釈明”は人々の懐疑心を明確な敵意に変えてしまう結果となる。Facebookが同意なしに非ユーザーのデータも集める理由を、Facebookユーザーを保護するためだと説明してしまったためだ。これには”同サイド”であったはずのAppleのティム・クックにも踵を返されてしまう事となる。
「顧客(の情報)を製品と考えて利益を得ようとすれば、大金を稼ぐ事が出来る。だが我々はそうしない事を選んだ。」(https://www.sankei.com)
一連“ウォームアップ“の後に開かれた5月22日の欧州議会での公聴会は極めて穏健に始まった。首尾よく準備された原稿を読むザッカーバーグからは責任を一手に引き受ける覚悟と誠実さが伝わるものであったし、ザッカーバーグは新たに施行されるGDPRに準拠する事を約束し、会社の利益よりもユーザーを守る事を優先されると明言した。しかしEU議員達は淡々とそして手厳しくかつての英雄を断罪する。
「ユーザーに知らせないで個人情報を広告代理店に提供していた事を問題だと思っていなかったのか」
「データポータビリティがサーバー犯罪に悪用されるリスクをコントロールできるのか」
「あなたのビジネスモデルは我々EUの基本的理念を侵害しているばかりか、EU各国の国家主権すらも脅かしている。」
とある議員は苛立ちを皮肉に込めて表現する。
「私の知る限りこの数年であなたは何十回も謝罪しているが、あなたには果たして状況を改善する能力はあるのか。」
同公聴会でザッカーバーグは多くの質問に対して具体的な回答をしなかった事でEU議員達を酷く苛立たせる事となった。公聴会の終盤には我慢ならず声を荒げ罵倒する議員までいた。結局GDPR施行後、Facebookを始めとするシリコンバレーのテックジャイアントは個人情報の取り扱いに関してGDPRの基準に沿うよう対応した。
GDPRによりプライシーを巡る論争は一旦の収束を得たようにも見えるが、データポータビリティという莫大な富を生むテクノロジーと今後どう付き合うのか、個人のアイデンティティをどう守るか。人々がこれらの問いに対する答えを見出せないまま、巨人達の提供するサービスはより自然に、より最適化されていく。無遠慮に増長する漠然とした不安を抱える人々に対し、巨人達はまるで古い友のように優しく答える。
「何も心配はしなくてよい、我々が世界をよくするのだから」
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