11日、Forbsは香港で最大の企業グループの「長江実業公社」のCEO李嘉誠が、自身のベンチャーキャピタルを通じて、仮想通貨取引所Bakktへ出資したと報じた。
Bakktは、ニューヨーク証券取引所を運営するインターコンチネンタル取引所の傘下の仮想通貨取引所で、過去にマイクロソフトやスターバックスと業務提携した事でも話題になった。
アジア最大の富豪として、ながらくForbsのTop10の常連だった李嘉誠は、2018年その順位を23位に落としたものの、総資産は3.5兆円を超え、最も成功した華人として知られる。
中華圏で絶大な影響力を持つ李が、このタイミングで仮想通貨取引所に出資をした事は、一大ニュースとなったが、今回は、そんな生ける伝説の半生を簡単に紹介したい。
1928年、広東省で生まれた李嘉誠は、日中戦争の戦火を逃れて、家族と共に香港に疎開した。戦火が止んだ1950年、彼が始めた事業は”造花”だった。ある日、イタリアで造花が人気となっている事を、経済紙で知った李は、富裕層向けの造花を販売。”ホンコンフラワー”の愛称で一大ヒットとなった。
李の長江工業有限公司は、造花以外にもプラスチック製品を広く扱うようになり、後に、不動産ディベロッパー、港湾経営、小売り業など、様々な事業を展開、瞬く間に香港の経済界で主導的立場を築く。
彼を有名にしたのは、天安門事件での逆張りだろう。1989年に天安門事件が起き、外国企業が軒並み中国本土から撤退する中、李は逆に中華人民共和国への増資を決断。発電所などのインフラ事業を一手に引き受け、中国本土でも絶大な影響を持つようになる。
また、2007年、収益化が出来ていなかった、創業三年目のフェイスブックに将来性を見出した李は、シリーズCで約1億ドルを出資。この出資を決めるのに5分もかからなかったと回想する。ドットコムバブルの当時を知る人にとっては、この決断の意味が分かるはずだ。
このように一般人からすると、博打にも似た大胆な投資で知られる李だが、本人は、それを、たゆまぬ努力と準備の結果だという。李は早朝から夜遅くまで、とにかく働き続け、常に危機感を持ち、資料集め、経営シミュレーションに余念がない人物として知られる。
「過去、株式市場や不動産市場、そして経済そのものが危機的な状況におかれていた時、我々は投資額を増やした。我々は常に準備を怠らなかったからだ。順風な時に楽観的になる事もなく、悪い時も悲観的になる事もない。」
生ける伝説にはこんなエピソードもある。
1996年、長男が誘拐された時、李は、「防犯を怠った我々に非があので、犯人を憎んでいない」と言い、犯人の要求通りに身代金を支払った。その際、誘拐犯相手に、身代金の使い方と共に、投資の助言をおこなったというから、もはや常人の理解を超越している。
アジアで最も成功した起業家として、生ける伝説となった李嘉誠の帝国は現在、世界50カ国に30万をこえる従業員を擁するが、当の本人は、質素倹約で、いつも笑顔を絶やさない、気なくな人柄だという。李嘉誠基金を通じて、世界中でチャリティー活動を行ってきた事も有名だ。
「贅沢をしたいと思った事はない。贅沢な暮らしをしたかったら、1960年にとっくにそうしていただろう。」
ビジネスのみならず、政治、チャリティーを通じて広く人々に貢献してきた李の半生は、エピソードと教訓に事欠かない。単なるビジネスマンの域を超え、人生の教科書として、中華圏で最大の尊敬を集めている所以だ。
先日、Bakktへの投資をした、今年91歳となる伝説の投資家は「テクノロジーに投資する時、私は自分が若いと感じられる」と未だ健全だ。